雪が解けると山での最初の農作業が春木山と呼ばれる薪作りの作業だった。薪を小国ではボヨと呼び、そのボヨキリが初めだった。水分をたっぷり含んだ雑木を鉈やのこぎりで切ってゆく作業である。昔話で「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」のあの柴刈りである。沢にはまだ残雪が硬く残っている山の斜面で雑木を刈り取る。その木は雪に押されて根元が弓のように曲がっている。
それを1メートルほどの長さにして2か所を同じ軟らかい木で丸ける。丸けるには軟らかいマンサクの木がよかった。これをネジキと呼んでいた。束ねたボヨをネジキで縛り、くるりと丸め先端を束に差し込む。これもベテランの技術がいった。1日に何把のボヨまるけができたのであろう。
山が遠いので弁当持ちである。作業で疲れた昼の弁当は旨かった。大きなアルミの弁当箱にぎっしりご飯を詰め、そみに大根の味噌漬けや油味噌が詰まっていた。それを食べた後、沢水で喉を潤した。
水分をたっぷり含んだ雑木はそのままでは薪にできない。できたボヨの山は何把も円錐形に積み重ねてニオに積み、秋まで乾燥させる。このニオをボヨニオと呼んでいた。その上には藁で編んだトバを掛ける。トバは長い縄に藁を巻き込んで作る即席の屋根である。今は便利なブルーシートを掛けることができるが、かっては藁でできたトバが防水シートである。田作業が始まる前にこうして一年中の燃料を確保するのである。その量は膨大なものとなる。茫々60年の昔の事である。(ひこぜん)
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