小国の誇る二人の力士の業績を顕彰する
小国の名力士を顕彰する会 小国郷は幕末から明治にかけて二人の名力士を輩出した。 この柏戸宗五郎改め七代目伊勢ノ海、六代目両国梶之助の業績を顕彰する。 ■ 設 立 平成23年8月6日 |
会 長 大橋 義治
副会長 樋口 章一 大久保 重嗣
事務局 高橋 実
会 員 95名
<問合せ先/連絡先>
〒949-5332 新潟県長岡市小国町上岩田524-1 高橋実方
電話(FAX共):0258-95-2340
4月7日(日)午前11時![]() 力士顕彰碑前 14名参加 4月13日(土) 大相撲伊勢ノ海部屋「勢関」小国訪問 力士顕彰碑献花 80人出席 6月13日(木) 大相撲伊勢ノ海部屋「勢関」小国訪問 小千谷の相撲遺跡めぐり 大橋・樋口・片桐・高橋参加 10月10日(木) 東京江東区萬徳院 伊勢ノ海墓地参拝 参加者 大橋・樋口・広井・片桐・高橋参加 12月15日(日) 力士の会三役納会 大橋義治宅 6人参加 ※記録写真(「萬徳院 7代伊勢ノ海墓・位牌」、「大相撲幕内力士・勢翔太関」小国訪問時の記念写真」、「盛況の相撲場の錦絵」を掲載。) |
小国の名力士顕彰碑除幕式集合写真 H24.11.4
小国の名力士を顕彰する会会長 大橋義治(前小国町長) | |
山深い小国郷は幕末から明治にかけて二人の名力士を生み出した。上岩田出身の柏戸改め七代伊勢ノ海(1810〜1886)、小栗山出身の六代目両国梶之助(1829〜1904)である。柏戸は前頭筆頭が最高位、引退後柏戸宗五郎改め七代目伊
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募金方法 |
小国地域外の方:郵便局の振込用紙をご利用ください。 小国地域の方:小国町内郵便局にお声かけしてください。 |
募金振込先 |
郵便振替口座番号 00560-6-70782 加入者名 小国の名力士を顕彰する会 |
募金額 | 300万円 |
除幕式 | 平成24年11月4日(日) |
連絡先 949‐5332 長岡市小国町上岩田524−1 高橋実方 名力士を顕彰する会 電話(FAX共):0258-95-2340 |
七代伊勢ノ海五太夫(六代柏戸宗五郎改)
文化7年(1810)現長岡市小国町上岩田の渡辺家に生まれる。小千谷の縮問屋西脇家に奉公し、住吉神社奉納相撲で強豪振りが認められる。江戸大相撲入りを決意し、六代目伊勢ノ海部屋へ入門。天保13年(1842)前頭四枚目に入幕。翌年柏戸宗五郎と名乗る。南部藩お抱えとなる。弘化2年(1845)前頭筆頭を最高位に引退する。後、七代目伊勢ノ海五太夫を襲名する。幕末から明治にかけて玉垣と共に相撲会所筆頭(ふでかしら:今の相撲協会理事長)としてを仕切る。明治の初め、危機に瀕した相撲界の復興に尽力する。ふるさと小国への愛郷心が強く、神社に石燈籠を寄付し、同郷の弟子両国を育てる。明治18年(1885)協会を離れる。明治19年3月2日死亡、77歳。
六代両国梶之助
天保元年(1830)、現長岡市小国町小栗山の岩野家の農家に生まれる。14歳のとき栃木の醤油醸造元に奉公する。嘉永2年(1849)、従兄弟を頼って上京し、勝海舟の世話で佐久間象山塾に下男と塾生を兼ねて入門し、力士の道を志す。嘉永3年(1850)、初土俵。安政7年(1860)、十両となり、六代目両国梶之助を襲名する。慶応2年(1866)河井継之助に面会し、長岡藩のお抱え力士となる。後土佐藩お抱え力士となる。幕末に外人レスラーと対決し破る。太郎丸真福寺の仁王像に勝利の願掛けする。生家に50円を出して家を新築する。明治6年(1873)関脇在位のまま引退。引退後は年寄伊勢ヶ浜勘太夫として弟子の育成にあたる。明治38年(1905)1月28日死亡、75歳。
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