『随筆集 雪の山里に住み継ぐ』を紹介します。
NHKラジオ新潟放送局の「朝の随想」は三十五年間も続く長寿番組である。私はこの番組に昭和五十七年九月から五十八年三月までと、平成二十二年四月から九月までの二回出演した。一回の放送時間が約五分、原稿の長さは一回が千百字前後である。半年で二十六本、合計で五十二本である。昭和五十七年から平成二十二年までは、約二十八年間の開きがある。その間に新潟放送局の場所も弁天町から川岸町に変わった。私も平成十三年三月に定年退職し、十年があっというまに過ぎた。今回はその二十八年間のブランクを混ぜ合わせて六つの大きな章に分けてみた。これがベストであったかどうかの疑問点は後々まで尾を引いた。放送に当たっては生原稿を放送局のアナウンサーに見てもらう。差別用語、会社名、放送に適さない言葉を使っていないかチェックを受ける。
この随筆集の題名を「雪の山里に住み継ぐ」と付けた。私の住む長岡市小国地区は雪がどっさり積り、過疎が進む山里である。私はこの地に七十歳のほとんどを住み継いできた。私のとりえはこの故郷以外何もない。この私の守備範囲をみてもらえば分かるように私は文学、歴史、民俗、地域起しと多岐に渡っている。この内容を、「わが人生」、「越後の人々」、「越後の文化」、「教務室の机」、「雪の中に生きる」、「北越雪譜に向き合う」というように六章に分類してみた。このフィールドを蛸足配線と評した人がいた。蛸の足のようにあっちにもこっちにも触手を延ばして何が中心なのか分からないようになっている。この絶えざる好奇心は遺された人生の最後まで続くのであろう。そのうち配線同士でスパークして混線してしまうか、それともあらゆることに触手を延ばすこの幅広いフィールドを己の糧として人間的に成長してゆくか。この本をどのように読んでもらえるであろうか。よくも悪くもこれが私の飾り気のない裸の姿である。どうぞ好きなところから昼寝の枕かわりにしながら、お読みいただきたい。
平成二十三年五月十三日
高橋 実
第一章 わが人生 1 山里に生れて 10 2 保坂弘司先生の励まし 12 3 『小国郷土史』という本 14 4 童話を書いていた頃 16 5 同人雑誌『笛』の頃 18 6 『雪残る村』執筆の頃 20 7 俳句の心 22 8 小国芸術村の頃 24 9 自分史の執筆 26 10 足摺岬とジョン万次郎 28 11 収穫の秋を迎えて 30 12 人みなわが師 31 13 パソコンの中の墓碑銘 35 第二章 越後の人々 1 「天地人」と大国実頼 38 2 『越のやまづと』を読み終えて 39 3 河井継之助の西国紀行 41 4 歌人真島勝郎先生 43 5 巻機山の空観道路 45 第三章 越後の文化 1 瞽女の旅 50 2 瞽女妙音講 52 3 私の民話採集 53 4 民話の語りから学ぷもの 55 5 若さへの願望 57 6 雑誌『高志路』に育てられて 58 7 わが小国紙 60 8 小国和紙に関わった人々 62 9 「あっためかえし」という言葉 64 10 もちひとまつり 66 11 操り人形巫女爺 68 12 新潟県の木喰仏 70 |
第四章 教務室の机 1 旅立ちの季節 74 2 養護学校の五年間 76 3 郡境の学校にいた頃 78 4 学校図書館の行方 80 5 教え子たちの卒業後 82 第五章 雪の中に生きる 1 雪の峠越え 86 2 なだれの話 88 3 クツ雪.スカリ雪 90 4 雪樋の話 92 5 囲炉裏の役割 94 6 真夏の雪販売業 96 7 冬篭りは思索の時間 98 第六章 『北越雪譜』と鈴木牧之 1 『北越雪譜』という本 102 2 『北越雪譜』の原稿 103 3 馬琴に送った『北越雪譜』の原稿 105 4 新発見の『秋月庵発句集 上巻』 107 5 鈴本牧之の『秋山記行』 109 6 『秋山記行』の稿本 111 7 牧之と良寛・一茶 113 8 牧之の曾孫鳥原茂世さん 115 9 蛾眉山下の橋柱 117 10 熊に助けられた話 119 11 鈴木牧之の老後 120 あとがき 124 装画・藤野英世 |
1、山里に生れて
雪地獄父祖の地なれば住み継げり
この句は十日町市で作られた有名な句です。昭和十二年一月、十日町市で、映画館が屋根の雪の重みで倒壊し、六十九名の死者をだすという大災害がありました。その死者の霊を弔うために建てられた深雪観音堂に掲げられた句です。雪地獄と言われたこの雪国、そこが私の故郷、父祖の地なのです。私の住む小国は、十日町から山を越えて三十キロほどの所に位置しています。今年の冬はひどい積雪に苦労しました。それでも、子供の頃はもっと雪が多かったようです。その真冬に、唯一の足が鉄道ですが、信越線塚山駅まで雪道を二時間歩かなければなりません。
春先、初めて除雪のブルドーザーが入ったのは、私が中学を卒業する昭和三十一年でした。重たい雪をロールカステラのようにくるくると押して、黒い土を出してゆく姿は感動的でした。その雄姿を集落の大勢の人たちが出て見学しました。今は積雪があるとすぐ除雪車が通り、消雪パイプから水を噴出して、真夏と同じように車が通っていて、今の若い人たちは、雪道を長く歩く経験をすることなしに育っています。この地、今は長岡市に吸収合併されましたが、平成十七年三月まで刈羽郡小国町でした。私はこの地に生を受け、六十九年のほとんどをここで暮らしました。小国という地名は、山間の別天地という意味だと柳田国男は言っています。そのとおりに地域外に出るには高い峠を越えないと出てゆけないところです。渋海川渓谷を下ってゆけば、長岡中心部に出ることもできますが、途中に山が迫った細い道を通り抜けなければなりません。
こんな山間の豪雪地ですから、昔から遠くに働きに出かけて収入を得ていました。女たちは縮織と紙漉きが冬の仕事でした。大正から昭和にかけては、学校を卒業すると、埼玉県や岐阜県の製糸工場や紡績工場に就職しました。私は昭和三十一年に、地元の上小国中学校を卒業しましたが、百八十名の卒業生のうち高校へ進学したのは、わずか一割の十五、六人でした。地元の定時制高校以外、進学するには、小千谷や柏崎・長岡のどこにも下宿しなければならなかったからです。
小国町が誕生した当時一万五千人だった人口は半分以下の六千人になってしまいました。何より子供たちの数がみるみる減っています。集落には、老人家庭、一人暮らし家庭が増えています。生活の中心だった農業も田んぼに大型機械が入るように基盤整備が進み、組合組織になって家族みんなで田んぼに入る作業ができなくなってしまいました。地元の商店も店を閉じざるを得なくなって、これからどのように暮らしてゆくのか、不安な気持ちで暮らしている人が多いのです。 (平成22年4月5日放送)
「第一章 わが人生」より
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