第二小説集『紙の匂い』を紹介します。
一九七四年八月に小説集『雪残る村』を出版して、六年目の夏を迎えた。その後に書きためた作品が七編、ちょうど一冊の本になるほどたまり、ここに第二小説集を出すことにした。
一九七七年四月、今まで四年間住まわせてもらった十日町市の妻の実家から郷里の小国町に引越して来た。二人の子どもも十日町で生まれ、私も十年間、十日町と中魚沼郡で教員生活を過した。十日町は、私にとっての第二の故郷である。この七編の作品ともこの二つの場所に取材し、ここで書かれた。取材にあたって、お世話になった人たちに心よりお礼申し上げたい。
この七編の作品中、六編は、私の所属している同人雑誌「北方文学」(長岡市坂之上町一丁目、文進堂書店内)に載せたものである。「北方文学」に加わったのは、一九七一年からであるからもう十年になる。雑誌が出ると必ず合評会が開かれるが、そんな時、私はいつも寡黙で、仲間たちが次々といろいろな作家や作品をあげて話すのを、じっと聞いていることが多い。こういう方面での知識は、おどろくほど貧しく、いつも教えられることが多い。いつも自分の作品を活字化してくれる雑誌を持っていることはありがたいし、その作品を仲間たちが忌憚なく批評してくれることもありがたい。ここまで作品を書けたのは、この同人たちの支えがあったからで、これからも私の作品は、この雑誌の中で発表してゆくことになろう。
この夏、北海道日高山脈の麓に住む向井豊昭氏が、わが家を訪問してくれた。小学校の教師をしながら、アイヌ問題をテーマにした小説を書き続けている氏は、「うた詠み」という作品が、一九六七年に「文学界」に転載された。以来、私の方から求めて文通し、お互いの作品を交換しあってきた。しかし、札幌へ出るまで汽車で三時間以上もかかるところへ住む氏と、新潟県の僻村に住む私とが相会うことなど考えてもみなかっただけに、嬉しかった。
わが家に泊った翌朝、氏の希望もあって、私の住む楢沢部落の墓地に案内した。向井氏の先祖の墓が三重県にあり、東京、青森、札幌、そして日高と、転々と居住地を変えて生き続ける氏から見ると、一所に定住し、五百年以上も住み継いでいることは、予想もできぬ大きな驚きであったようだ。そして、それは、代々この地に住み着き、同じようにこの墓地に葬られるであろう私にとっても一つの驚きであった。それを当然のことと考え、改めて考えることもしなかったが、これは大へんなことに違いない。古い墓石、新しい墓石のたち並ぶ場所にいて、氏も、私もしばらく無言であった。
過去から未来へとつづく、歴史の一コマを生きているという実感が胸にこみあげて来た。
これからも私は、当然のようにここに住み続け、蚕が桑を食べ、糸を吐くようにして作品を書き続けるだろう。この作品集は、私自身が建てる一つの紙の墓、おのれが籠る繭といえるだろう。石の墓さえ、長い年月に風化していくのに、この紙の墓はそれよりもっと早く朽ち果ててゆくに違いない。しかし、まぎれもなく、これは私が建てた墓なのだ。
春田が囲む墓の生前みな農夫
おのが入る石室暗く墓洗ふ
おわりに、表紙を書いてもらった早津剛氏、扉の小国和紙を漉いてくれた江ロリツさん、そして越書房の関徹氏に感謝申し上げたい。
一九八〇年八月
高 橋 実
紙の匂い (「北方文学 第十八号」 一九七五年十月)
少年の革命 (「北方文学 第二十号」 一九七六年八月)
船頭亀吉 (「北方文学 第二十二号」 一九七七年六月)
欠ける視像 (「互尊文芸 第四号」 一九七八年二月)
川の季節 (「北方文学 第二十五号」 一九七八年十二月)
薄暮の始業ベル (「北方文学 第二十六号」 一九七九年六月)
墓を建てる (「北方文学 第二十八号」 一九八〇年八月)
カバー装画 早津 剛
扉(無形文化財)小国和紙 江ロリツ
本書で紹介されている著者略歴
1940年新潟県刈羽郡上小国村楢沢に生まる。
長岡高校を経て1963年新潟大学教育学部卒業。
中学校教諭を経て現在県立川西高校教諭。高校時代から新聞に童話を投稿し、雑誌『笛』に加わる。以後『文学北都』同人を経て、現在『北方文学』同人。1965年「雪残る村」が第52回芥川賞候補作となる。
著書 小説集『雪残る村』(新潟日報事業社)
『校註北越雪譜』(共著、野島出版)
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