雪の結晶を六ツの花と呼ぶ。なぜ六角形なのだろうか。その答えはネットでは子供に対して次のように答えている。
氷の分子とよばれる小さなつぶは六角形をしています。したがって、空気中で水がこおると、一番最初は六角形になるのです。まず、雪のつぶが空の上でできます。もちろん、六角形をした氷のつぶです。この六角形の角のところに、空気中の水蒸気(すいじょうき)がくっつきます。どんどんくっついて、こおりついて、そうしてだんだん大きくなっていくのです。なぜくっつくのが角のところなのかというと、水蒸気は、角やへりのところにくっつきやすい性質があるからのようです。そのために、雪のつぶは、平たく、横に広がっていくわけなのです。そして、わたしたちのいる地上に雪がふってくるころには、あの六角形の雪の結晶(けっしょう)になるのです。
新潟県内の学校で六角形の雪の結晶を校章にしているところも多い。新潟大学などもその代表的なものと言える。『北越雪譜』初編巻之上に「雪の形」がある。訳してみると次のような文となる。
雪の形
物を見るには眼の力に限りがあるため、十分には見ることができない。だから、肉眼で雪を見れば、白い鷲鳥の毛つまり鷲毛のようにしか見えないが、これも数十、数百の雪花がくっついて一片の鷲毛になるのである。この鷲毛に見える雪も、虫メガネで見てみると、天の造化が細工した雪の形はおもしろく、以下図で示したとおりである。その形が同じにならないのは、冷際で雪になるとき、冷際の気のようすが同じでないので、雪の形も気に応じて同じにならないのである。しかし、肉眼では見ることのできない微細なものなので、昨日降った雪も今日降った雪も、同じように白くぼんやりと見えているのである。
以下に掲げる図は、天保三年出版の許鹿君の高選『雪花図説』に載せられた「雪花五十五品」の図の内から透き写しにしたものである。雪は六出といって、六箇所とび出ている。この本の中でも次のようにいわれている。
「大体物というものは、方体(四角)は必ず八辺で一つの形となり、円体(球)は六辺で一つの形になる。このきまった天然の道理にかなった数を疑ってはならない」
と。雪が六つの花ということは、この説明で明らかである。(以下略)
さらに次のページに雪の結晶図を五十五点あげている。その説明の訳文は
顕微鏡(むしめがね)をもって雪の形をはっきりと見た図 この図は雪花図説の高選中にある所五十五点を透き写しした。これがすなわち江戸の雪である。遠く離れたオランダの雪もこれと同じものであるとこの本に詳しく述べている。それで自然の仕組みの巧みさを知るべきであろう。
さてこの雪の結晶は土井利位の『雪花図説』をそっくり透き写しにしたと述べている。第四代古河藩主で老中にもなった土井利位は当時、オランダから輸入された顕微鏡を使って雪の結晶を観察し、観察図と研究を『雪華図説』『続雪華図説』にまとめて出版した。日本初の、雪についての自然科学書として高い評価を得ている。顕微鏡とかいて、「むしめがね」とルビを振っている。さらに「紅毛」を「おらんだ」とルビを振っている。
「高選」というのは、この名著に敬意を払って述べた言葉である。「名著」とでもいう意味になろうか。透き写しは「謄写」と書いている。そっくり写したという意味であろう。『雪花図説』は天保三年に発行されたが、その部数は少なく、あまり知られなかったらしい。その意味で『北越雪譜』がこの雪の結晶を転写した意義は大きかったと言わざるをえない。人によっては牧之自身が虫眼鏡で雪の結晶を観察したと誤解する人もいる。それにしても土井利位は殿様でありながら、長年科学者のように虫眼鏡で雪の結晶を覗き続けたという驚くべき人である。
ところで、この本で紹介されている三十五品の雪の結晶の中で、唯一説明文があるのが、左から三行目下段の「世に雪輪といふハ是なり」とある。これはあたかも雪の結晶の一つであるかのように捉えられてきた。
この雪輪について鶴巻武則氏が「北越雪譜の降雪観と『雪華図説』謄写の雪の図」(高志路 403号)で詳しく考察している。氏は様々な先人の考察を引用しながら、「牧之は雪輪という語の実態を知らないままに、土井利位が観察しスケッチした丸い所に六つのくぼみがあるものを、これこそ雪輪だと注記したに違いない」と述べている。雪輪とは「紋章の外郭の輪の一種。雪片の六角形を円くかたどったもの」と辞書には載っている。牧之は「雪輪」という語を知っていたが、その実態を知らず勘違いしたのではないかというのである。雪輪がデザイン化され、着物の柄にも使われたりしているので、そのルーツが雪の結晶と牧之は思ったのであろう。
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